祈念について改めて意識しなおし書き始めてから
今朝、朗報の兆候が現れました。久しぶりの感覚。
そう思うと私もやっぱり真剣さが足りなかったのね。
祈念に真剣に取り組もうと声を大にして言います。
他にもっと大事なことがあると思うとかしてない?
それ・・・よくない兆候です。それって・・・
ものすごく素晴らしい運招きを信じていなくて、
結局は、自分の感じ方が正しいと思ってる証拠 :no:
祈念の時間が適当になると
よからぬ方へ流されてしまう.
一般論が染みついてきます。
一般論になると、奇跡など信じてられません。
焦りの一種がどんどん幅を利かせてきますよ。
目の前のことばかりで目標は近づかない。
そんなの嫌じゃないですか(;´Д`)
努力は祈念をしてからすべし
信じ切る姿勢を作り直してみてわかったの。
祈念は神様へのお願いではなかった ☝
今は、私の宣言みたいなものです。
自分の力で叶えられると信じる宣言に近い。
すると、どういうわけか祈念の力が後押しになり
できるに違いないという確信が増してくる好循環。
その後に、たいてい周囲から動きがでてきます。
もしくは動きを加速する発見ができるでしょう。
自分の中にポジティブな気持ちを育てよう。
- 不平不満という足を引っ張る要素を除外する。
- 一日の終わりに、その日の行動を感謝する。
その繰り返しを省くのと、やっていくのとの違い。
「そりゃ違うわ」と実感できる充実感がでますよ。
神様に届いているという強い実感がでてくるまで、
何日か集中して祈念し、不安は即座に切り替え
その都度、その都度、昼も夜も何度も削除します。
すると数日で祈念するときに自信が出ているでしょう。
気づけば、お願いではなく宣言になっているわけです。
以前に裁判をひっくり返したときなどは、
「私が変えるから信じてて」と自信満々でした。
絶対に無理と言われたことがひっくり返ったときも、
周囲の言葉など全く信じていなくて、
「どういう結果かはわからないけど一番良いことになる」
としか思いませんでした。
祈っているからではなく「変えてみせる」と思えてた。
近いうちに変化がでると思って仕方がない理由は、
もう、どこか世界で動きも結果も動き始めていて
後は私のもとに動きがでるだけの話だと感じる。
それが念です。
念は、すでに通じている。
祈った時点で達成していると感じたら正解。
近いうちに奇跡のような動きが誰かに起きますよ。
我先にと思う人は、我先に正しい祈念です :pati:
みんなも祈念を続けてください。
力を使うためには、自分に不安があってはダメ。
いつも切り替えて「一番良いことになる」とスッキリしよう。
その気持ちが目に見えない力のもとです。
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